記事一覧ページに戻る

人的資本経営 じんてきしほんけいえい

公開日:2024.10.08
人的資本経営

近年、急速な技術革新やビジネス環境の変化に伴い、企業にとって「リスキリング」の重要性が高まっています。リスキリングとは、従業員の既存のスキルを更新し、新しい能力を身につけさせることで、変化する職場のニーズに適応させるだけでなく、新しい業務や職業にも対応できるようにする取り組みです。

本用語集では、リスキリングを理解する上で欠かせない「人的資本経営」に関連する重要な概念を、初心者にもわかりやすく解説していきます。

「人的資本経営」をひとことでいうと?

人的資本経営とは、従業員を「費用」ではなく「投資対象」と捉え、その能力や潜在力を最大限に引き出すことで、企業の持続的な成長と価値向上を目指す経営手法です。

人的資本経営の基本概念

人的資本経営は、「人」こそが企業にとって最も重要な資産であるという考え方に基づいています。従来の経営では、従業員は単なる労働力や経費として扱われることが多く、お金や機械、建物などが主な資源として重視されていました。

しかし、人的資本経営では、従業員を企業の成長や競争力の源泉として捉えます。人的資本経営の核心は、「人への投資」が長期的に従業員の満足度と生産性を向上させ、ひいては企業の持続的成長と価値向上につながるという考え方です。

人的資本経営が重要視される背景

近年、人的資本経営が注目されている背景には、以下のような要因があります。

知識社会への移行

現代社会では、物理的な資産よりも知識や創造性が企業の競争力を左右するようになってきました。情報技術の発展により、イノベーションや問題解決能力が重要視され、従業員の知識やスキルが企業の価値創造の中心となっています。このため、人材の育成と活用が企業の持続的成長に不可欠となっています。

少子高齢化と労働力不足

日本をはじめとする多くの国で、労働力人口の減少が進んでいます。これにより、一人ひとりの従業員の生産性向上が重要な課題となっています。また、高齢化に伴い、従業員の健康管理や長期的なキャリア支援の必要性も高まっています。このような状況下で、人的資本への投資は企業の競争力維持に不可欠となっています。

働き方の多様化

テレワークやフリーランス、副業など、多様な働き方が普及しています。これにより、従来の雇用形態や勤務時間にとらわれない柔軟な労働環境が求められています。企業は、これらの多様な働き方に対応し、個々の従業員のニーズや生産性を最大化するための仕組みづくりが必要となっています。このような変化に適応することで、優秀な人材の確保や従業員満足度の向上につながります。

SDGs(持続可能な開発目標)への対応

企業の社会的責任が重視される中、従業員のウェルビーイング【1】向上が重要課題となっています。SDGsの目標「働きがいも経済成長も」に関連し、企業は従業員の健康、安全、ワークライフバランス【2】の改善に取り組んでいます。これらの取り組みは、従業員の満足度向上だけでなく、企業の持続可能性と社会的評価の向上にも繋がります。

「人材版伊藤レポート」における人的資本経営

2020年に経済産業省が発表した「人材版伊藤レポート」【3】は、人的資本経営の重要性を強調し、その普及を後押しする重要な文書です。このレポートは、企業の持続的な成長と中長期的な企業価値向上のために、人的資本への投資とその情報開示の重要性を提言しています。

人材版伊藤レポートの主な提言内容には以下のようなものがあります:

  • 経営戦略と連動した人材戦略の策定
  • 人材投資を通じた企業価値向上
  • ステークホルダーとの対話を通じた人的資本経営の推進
  • 人的資本に関する情報開示の充実

このレポートを契機に、人的資本経営への注目が高まり、関連する取り組みが加速しています。その中でも特に重要なのが、人的資本の開示義務とISO30414の導入です。

参考リンク:経済産業省「人的資本経営 ~人材の価値を最大限に引き出す~」

人的資本の開示義務【4】

日本では、2022年4月から始まる事業年度より、プライム市場上場企業に対して人的資本への投資等の人的資本の開示が義務付けられました。この開示義務では、以下のような項目について情報を提供することが求められています。

  • 人材育成方針と社内環境整備方針
  • 人材育成投資の金額
  • 多様性の確保に向けた取り組み
  • 女性管理職比率、男性の育児休業取得率等

ISO30414について

ISO30414【5】は、人的資本報告に関する国際規格です。2018年12月に発行されたこの規格は、組織が人的資本に関する情報を一貫した方法で報告するためのガイドラインを提供しています。

ISO30414では、以下のような項目について報告することが推奨されています。

  • コンプライアンスと倫理
  • コストと生産性
  • 多様性
  • リーダーシップ
  • 組織文化と従業員エンゲージメント
  • 健康、安全、ウェルビーイング
  • 採用、異動、離職
  • スキルと能力
  • 後継者育成計画と人材育成

人材版伊藤レポートや人的資本の開示義務、ISO30414の導入により、企業は人的資本に関する活動を整理し、ステークホルダーに対して分かりやすく透明な情報を提供できるようになります。これにより、人的資本の重要性についての社会全体の理解が深まり、企業の持続的な成長や価値創造が促進されることが期待されています。

人的資本経営が企業にもたらすメリット

人的資本経営を実践することで、企業は以下のようなメリットを得ることができます。

生産性の向上

従業員のスキルと能力の向上により、個人の業務効率が高まります。チーム全体の生産性が向上し、より少ないリソースでより多くの成果を生み出せるようになります。 結果として、企業の収益性と競争力が強化されます。

イノベーションの促進

従業員の創造性や問題解決能力を高めることで、新しいアイデアが生まれやすくなります。さまざまな専門知識や視点を持つ従業員が協力することで、革新的な解決策が生まれます。これにより、企業は市場の変化に素早く対応し、新しいビジネスチャンスを見つけることができます。

従業員の定着率向上

従業員の成長とwell-beingを重視することで、職場の満足度が高まります。 キャリア開発の機会や適切な評価システムにより、従業員の忠誠心が強化されます。 結果として、優秀な人材の流出を防ぎ、採用・研修コストの削減にもつながります。

企業ブランドの強化

人材を大切にする企業として認知されることで、求職者からの評価が高まります。 従業員満足度の向上は、顧客サービスの質の向上にもつながり、顧客からの信頼も高まります。

リスク管理の向上

従業員の健康管理や適切なスキル開発により、業務上のミスや事故のリスクが軽減されます。 多様なスキルを持つ従業員を育成することで、人材不足や突発的な欠員にも柔軟に対応できます。

持続可能な成長

人材を長期的に育成することで、変化する市場に適応できる組織力が身につきます。従業員が継続して学び成長することで、企業の知識が蓄積され、短期的な利益だけでなく、企業価値の持続的な向上が可能になります。

 

これらのメリットは相互に関連しており、人的資本経営の実践により企業の総合的な競争力と価値の向上につながります。

人的資本経営の具体的な取り組みと企業の事例

人的資本経営を実践するには、以下のような取り組みが重要です。
以下に、人的資本経営を積極的に推進している企業の具体的な事例を紹介します。

人材育成と能力開発

従業員のスキルアップや能力開発のための投資を行います。

ソフトバンク株式会社では、AI人材育成プログラムを導入し、全社員のAIリテラシー向上を図っています。

全社員のリテラシー向上と実践力強化のため「DX・AI学習プログラム」を導入https://cas.softbank.jp/attempt/230111_01/

健康経営の推進

従業員の心身の健康を重視し、生産性向上につなげます。

大塚製薬株式会社は、独自の健康支援プログラムを展開し、従業員の健康増進に取り組んでいます。従業員の健康維持・増進を重要な経営課題と位置付け、定期健康診断の受診率向上、メンタルヘルスケア、生活習慣病予防などに様々な施策を実施しています。

社員の健康
https://www.otsuka.co.jp/sustainability/employees-health/

多様性の推進

性別、年齢、国籍などに関わらず、多様な人材が活躍できる環境を整備します。

株式会社ファーストリテイリングでは、女性管理職比率の向上や障がい者雇用の推進など、積極的なダイバーシティ施策を展開しています。

ダイバーシティ&インクルージョン
https://www.fastretailing.com/employment/ja/diversity/

働き方改革の実践

柔軟な勤務体制や生産性向上の取り組みを通じて、従業員のワークライフバランスを支援します。

株式会社サイバーエージェントは、同社で働く人の心身の健康が会社の成長につながると考え、独自の働き方改革プロジェクトを通じて、業務効率化や柔軟な勤務制度の導入など様々な施策を展開しています。

健康的な働き方
https://www.cyberagent.co.jp/sustainability/info/detail/id=24630

人的資本経営の国際的な動向

人的資本経営は日本だけでなく、世界的にも注目されています。
以下に国際的な動向をいくつか紹介します。

EUの非財務情報開示指令(NFRD)の改正

EUでは、2021年4月に企業サステナビリティ報告指令(CSRD)が採択され、人的資本に関する情報開示の要件が強化されました。これにより、EU域内の大企業は人材育成や労働環境に関する詳細な情報を開示することが求められています。

参考リンク:European Commission – Corporate sustainability reporting

米国SECの人的資本開示規則

2020年8月、米国証券取引委員会(SEC)は、上場企業に対して人的資本に関する情報開示を義務付ける新規則を採択しました。これにより、従業員数、人材育成プログラム、従業員エンゲージメントなどの情報開示が促進されています。

参考リンク:SEC Adopts Rule Amendments to Modernize Disclosures of Business, Legal Proceedings, and Risk Factors Under Regulation S-K

WEFのステークホルダー資本主義メトリクス

世界経済フォーラム(WEF)は、2020年9月に「ステークホルダー資本主義メトリクス」を発表しました。これには人的資本に関する指標も含まれており、グローバル企業の間で統一的な報告基準の採用が進んでいます。

参考リンク:World Economic Forum – Stakeholder Capitalism Metrics

 

これらの国際的な動向は、人的資本経営が世界的なトレンドであり、日本企業も国際的な基準を意識しながら取り組みを進める必要があることを示しています。

人的資本経営の課題と今後の展望

課題

人的資本経営を実践する上で、企業が直面するいくつかの課題も存在します。

  • 投資効果の測定
    人的資本への投資効果を具体的な数値で示すのは難しい場合があります。生産性の向上が投資の直接的な成果として見えにくいこともあるため、数値だけでなく、質的な評価を組み合わせる必要があります。
  • 短期的な成果との両立
    人材育成は長期的なプロセスであり、短期間での業績向上を求める企業文化との両立が難しいです。育成効果が現れるまでに数年かかる場合もあり、短期的利益とのバランスが求められます。
  • 従業員の主体性
    会社主導の人材育成だけでなく、従業員自身のキャリアアップや学習に対する意識向上も重要です。従業員の自主的な学びやスキル開発を促進するため、モチベーション向上の仕組みやサポート体制が必要です。

今後の展望

これらの課題に取り組みながら、人的資本経営の重要性は今後さらに高まっていくと予想されます。特に、AIなどのテクノロジーの進化や、働き方の多様化が進む中で、「人」の価値はますます重要になっていくでしょう。

これらの課題を克服しながら人的資本経営を実践することで、企業は長期的な競争力を強化し、社会的責任を果たすことが期待されます。

経営者・人事担当者のための「人的資本経営」Q&A

Q1: 人的資本経営は中小企業でも実践できますか?

A: はい、実践できます。規模に関わらず、全ての企業で人的資本経営は重要です。 中小企業では、大企業に比べて一人ひとりの影響力が大きいため、人的資本経営の効果が表れやすい面もあります。

Q2: 人的資本経営と従来の人事管理との違いは?

A: 従来の人事管理は、給与や労務管理、評価制度に焦点を当てていましたが、人的資本経営は、社員のスキルや知識を企業の資産として捉え、それを企業の成長に繋げる点で異なります。

Q3: 人的資本経営を導入するための第一歩は?

A: まず、社員のスキルや経験を可視化し、データベース化することが重要です。これにより、どの社員がどの分野で強みを持っているか、またどのスキルが不足しているかを分析することができます。この情報を基に、個別のスキル開発を設計し、必要な研修やトレーニングを提供することが成功への鍵です。

まとめ

人的資本経営は、従業員を「コスト」ではなく「投資対象」と捉え、その能力開発や環境整備に積極的に取り組むことで、企業の持続的な成長を目指す経営手法です。少子高齢化やグローバル化が進む現代社会において、その重要性はますます高まっています。

企業は、教育・研修の充実、健康経営の推進、多様性の尊重、働き方改革の推進などを通じて、従業員の能力と意欲を最大限に引き出すことができます。そして、それが企業の競争力向上と持続的な成長につながります。

人的資本経営の実践には課題もありますが、長期的な視点に立って取り組むことで、企業と従業員、そして社会全体にとって大きな価値を生み出すことができるでしょう。これからの時代、「人」を中心に据えた経営がますます重要になっていくことは間違いありません。

関連用語

【1】ウェルビーイング(well-being)

身体的・精神的・社会的に良好な状態を指し、健康で満足感のある生活を送ること。企業では、従業員の健康や職場環境の向上が重要視され、持続可能な成長を支援する施策として取り入れられている。

【2】ワークライフバランス(Work-Life Balance)

仕事と私生活の調和を保ちながら両立させる考え方。企業が柔軟な働き方を提供し、従業員の生活の質と仕事の効率を向上させるために重要。

【3】人材版伊藤レポート(リスキリング用語集②

経済産業省が発表した、企業が人的資本を活用し、持続的成長を図るための指針。スキル開発や多様な人材の活用を通じて、競争力強化を目指すことを提言している。

【4】人的資本の開示義務

企業が投資家や利害関係者に対して、従業員のスキルや育成状況、エンゲージメントなどの人的資本に関する情報を開示する義務のこと。透明性を高め、企業価値を正確に評価するために重要。

【5】ISO 30414(人的資本の情報開示に関する国際的なガイドライン)

人的資本に関する情報を標準化された形式で開示するための国際規格。企業間で一貫した人的資本の評価が可能になり、透明性と信頼性が向上する。